がやがや2

----------  大人の秘密結社 『がやがや倶楽部』 WEB 版 ---------

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書評 『紅一点論』 斎藤美奈子

20150419.jpg私の職場は、シフトの関係で常時5人が稼働しているのですが、その中に女性が一人います。
ある時、一番若い職場のエースMくんが、彼女のことを「紅一点だよね」と言っていました。
40代半ばで二人の子持ちの中年女性である彼女と、『紅一点』という言葉のギャップにみんな爆笑していましたが、私は、自分の職場が偶然にも男4人と女一人という、スーパー戦隊シリーズと同じメンバー構成だということに気付くと同時に、本書『紅一点論』のことを思い出したのでした。

本書はサブタイトルに『アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』と題しているとおり、私たちが子供の頃見て育ったアニメや特撮などの子供番組や、ナイチンゲールやヘレンケラーなどの偉人伝で、女性がどういう立ち位置にいるかを分析し、それが現実の社会構成と意識の内部でどうつながっているかを論じた、女性視点からの評論です。

言われてみれば、『サイボーグ009』も『ウルトラマン』も『ウルトラセブン』も『科学忍者隊ガッチャマン』も『秘密戦隊ゴレンジャー』も、子供の頃見ていた番組にはことごとくヒロインの女性が一人入っていました。
本書では彼女らヒロインのことを『紅の戦士』と呼び、「『職場の花』としての紅の戦士」という観点から、あまり質の良くない男の上司が若い女の部下を見る視点で物語が描かれているとし、その属性を以下のように分析しています。
・紅の戦士は上司から見たOL
・紅の戦士は二十歳前後のセクシーな若い女
・紅の戦士は父親の威光をカサに着た「七光娘」
・紅の戦士の公の仕事は通信係=電話番
・紅の戦士の影の仕事は雑用とお色気サービス
・紅の戦士には女の友達がいない

小さい頃から見ていてこれが当たり前だったので、今まで疑問にも思わなかったのですが、セクハラ・パワハラ・モラハラが当たり前の世界で、今なら裁判になることが平気で行われていたりします。
それでも、セクハラを告発もせず、待遇改善の要求もしないという従順で健気な女性だからこそヒロインとして視聴者に愛されていたのではと思ってしまいます。

本書が書かれたのは、今から17年前の1998年で、ちょうどウルトラマンを見て育った世代が製作を担いはじめた頃の話であり、その次の世代に代替わりしつつある今は、若干内容に変化が見られ、必ずしも単純なヒロイン像が当てはまらなくなっているような気がします。
そしてそれは、女性の社会進出や労働環境の変化、セクハラへの人々の意識の変化や社会情勢の変化と連動しているように思うのです。

本書はこんな感じで、サブカルチャーの面から日本の社会の変化を考えさせられる1冊ですが、フェミニズムや女性の権利を声高に主張するようなものではなく、女性特有の視点から面白おかしく、ユーモアたっぷりに、時にはヒロインに対する皮肉たっぷりに論じていて、男性目線では気付かない部分を気付かせてくれる、エンターテインメントにあふれた評論なのです。

そういえば、『チキチキマシン猛レース』も女性が一人でしたよね。
あれはアメリカ製アニメですけど・・・



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  1. 2015/04/20(月) 01:17:40|
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書評 『ヒトラー演説 熱狂の真実』 高田博行

20150412.jpg私は小さい頃からドイツが好きで、この歳になった今でも、心の中にドイツへの憧れの気持ちを持っています。
それは、芸術家がパリを想う気持ちやエンターテイナーがニューヨークを想う気持ち、ミュージシャンがロンドンを想う気持ちと同じなのかもしれません。

ドイツへの憧れの一番古い記憶は、まだ私が小学校に入る前、テレビが白黒放送だった時代のアニメ『サイボーグ009』の、ドイツ人004への憧れです。
有名なアニメなので詳細は省きますが、全身兵器である004は9人のサイボーグ戦士の中で一番強いのではないかという確信と、004のようになりたいという単純な憧れは、中年を過ぎて老年に差しかかった今でも持っていたりします。

大学時代には第2外国語にドイツ語を選択し、必修単位ではないナチズム研究のゼミを専攻してヒトラーとドイツ近代史の書物を読みあさり、大学卒業後30年たった今でも、ナチスドイツに関する書籍やDVDを買ったりしてしまうのでした。

本書も、そんな感じで書店を物色していた時に見つけたのですが、実はこの本、今までにない新たな視点でヒトラーを分析しています。
ヒトラーが政治家として大衆の前に初めて姿を現した1919年からドイツ敗戦の1945年まで、25年間にわたり彼が演説した全てのデータを分析し、どんな単語やどんなセンテンスが一番使われているかを時代ごとに分類することで、言語面と同時にその演説の置かれた社会的・歴史的パラダイムにスポットをあてています。

当時の全てのドイツ人がヒトラーの演説に熱狂して彼を支持し、その結果ドイツは戦争へと突き進んでいったのだから、ヒトラーだけの責任ではなく彼を選んだ全ドイツ人の責任ではないかと、今までイメージしていましたが、本書を読むと決してそうではないように感じます。
ヒトラーを支持していたのは一部の熱狂的な人たちであり、党大会での演説の熱狂はサクラによるものであり、晩年には、人々はラジオから流れるヒトラーの演説にウンザリし、いつまでこの戦争が続くのかといった不安や、はやくこの戦争が終わらないかという願いを持っていたことがうかがえます。
おそらく、こちらの方が真実の姿であって、私が今まで思っていた伝説化されたヒトラーの演説というのは、ヒトラーをカリスマと描くナチスのプロパガンダに今でも自分が影響されているということなのかもしれません。

そんな感じで、本書はまるで、『歴史』というアナログの世界にデジタルな思考と手法を持ち込んだような斬新さを感じる、久々に面白い本なのです。





  1. 2015/04/12(日) 23:35:02|
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書評 『日本人には二種類いる』 岩村暢子

20150406.jpg私は本屋さんが大好きで、一度書店に入ってしまうと全く時間の感覚がなくなってしまって、気が付いたら4~5時間たっていたということがザラにあります。
学生の時には、当時札幌の街中のエイトビルに入っていた旭屋書店に毎日入り浸っていて、こんな新刊本が入ったのかとか、この本売れたのかとか、本の微妙な変化をすべて把握していたのでした。
気に入った本があると全ての所持金を使ってしまうので、電車賃が無くなり、よく歩いて帰ったものです。
現在はそんな状態になることはないのですが、書店を見つけるとついつい入ってしまうのは、今でも変わらない習性なのかもしれません。
そんな感じで、特に目的の書物があるわけでもなく、あてもなく書店で本を物色していた時に目に留まったのが本書です。

本書は、サブタイトルに『1960年の断層』とあるとおり、1959年までに生まれた人と、1960年以降生まれた人との間に大きなタイプの違いがあることを、長年生活調査の仕事に携わってきた経験から導き出しています。
1960年生まれの人は歴史的に数奇な運命を担っているかのようで、彼らが赤ちゃん時代には、児童福祉法の改正や3歳児健康診査の開始、児童扶養手当法の公布など、社会制度が変わり、幼稚園時代には、幼稚園教育要領が改正され、小学生や中学生の時は教育カリキュラムが変わり、中学卒業の頃には中卒者の集団就職制度が終焉を迎え、彼らが大学入試の時には共通一次試験がはじまり、そのために高校教育のカリキュラムも変わるという変化を遂げています。
教育だけに限らず、家庭環境の変化、テレビをはじめとする情報メディアとコンテンツの変化、食生活の変化、男女同権に対する意識の変化など、60年生まれを取り巻く環境は常に、その前に生まれた人たちとの流れを切り離すように変化し続けてきたように思われます。

そんな感じで本書は、日本近代の状況を、社会制度、サブカルチャー、大衆文化、習俗習慣など、あらゆる方面から分析した日本近代史となっていて、社会のパラダイムの変化が見てとれるように思われます。

新型の日本人は今年で55歳。
あと5年もたてば、旧型の日本人は社会の第一戦から退くのですが、この先、年金制度や社会保障制度も、新型日本人が該当する年に大きな変化がやってくるのでしょうか。

ちなみに、私の兄は59年生まれの旧型で、私は62年生まれの新型になります。
確かに、小中学校の教育内容は兄と私では結構違っていて、兄が使っていた参考書はあまり役に立たず、全て新しいものを買っていましたが、小さい時には一緒に同じ番組を見ていたし、一緒に遊んでいた記憶もあり、そんなに世代の断絶を感じたことはありません。
しかし、本書を読むと思い当たるフシがとても多く、著者は頑なにこれを主張しているわけではないのに、妙に納得してしまう感じではあります。

旧型・新型の分類よりも、私にとっては、日本近代史の視点で社会の流れを押さえられる、資料的価値のある1冊であります。




  1. 2015/04/06(月) 23:36:20|
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書評 『力道山の真実』 木下英治

Scan201503280001.jpg前回、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読み、今まで持っていた木村政彦と力道山に関する間違った先入観が改められました。
そして新たに、力道山に対する興味がガゼン湧いてきたのでした。
という訳で、本書も読んで、多角的にあの時代のことを調べることにしました。

プロレスの世界では伝説の人物として、プロレス的な言説で語られる存在の力道山ですが、本書は、プロレスとは全く関係のないノンフィクションライターである著者が書いているだけあって、プロレス的なお約束や暗黙のルールにのっとった記述は全くありません。

現在の北朝鮮に生まれ、相撲で関脇まで上り詰め、相撲を廃業後、当時日本では誰も知らなかったプロレスという『興行』を日本に導入した立役者である力道山。
興行という性質上、日本の裏社会とのつながりを持たざるを得なかった経緯と、当時の社会情勢から自分の出身を隠さざるを得なかった苦悩と周りの全ての人間に対する不信感、その結果生じるカネに対する執着と意地汚さ。
本書では力道山は全く良いところがありません。
周りの人間で、力道山のことを良く言う人間は皆無。
筋を通すことが第一の裏社会の人間から見れば、力道山は自分勝手で傲慢で無茶を言う最低の人間に見えるのかもしれません。

木村政彦との対戦の経緯も詳しく語られていて、その内容は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』とほとんど違いはありません。
あくまでもプロレスと割り切っていた木村に対して、話に乗ったと思わせて油断しているところを本気で潰しに行った力道山。
かなりドラマ仕立てで書かれていますが、やっぱり最低の人間として書かれています。

今まで、力道山に関する知識は、プロレスマスコミが作りだした伝説のヒーロー像しか知らなかったので、その違いに唖然としてしまいます。
その真実の姿はともかく、死して伝説となった力道山は、ヤク中のクズ人間なのに死して伝説となったシド・ビシャスのようです。

そんな人間性の力道山ですが、日本にプロレスを根付かせ、それから派生する形でUWFやK1やプライド、リングスにパンクラスなど日本が格闘技王国となったのは、力道山という先駆者がいたからであって、その業績は真実であるのは間違いのない話です。

それにしても、この時代に生きてお互いに関係のあった柔道家木村政彦、プロレスラー力道山、空手家大山倍達。
やっぱり次は大山倍達伝を読むしかありませんね。
『空手バカ一代』みたいな伝説の啓蒙書ではなく、できればノンフィクション物で。





  1. 2015/03/30(月) 01:41:40|
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書評 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 増田俊也

Scan201503210001.jpg今ではほとんどテレビではやらなくなりましたが、10年くらい前、まだ格闘技の番組が全盛だった頃、私も格闘家たちの勝敗の行方に一喜一憂していました。
格闘技は大まかに分けると、立ち技系と寝技系に分かれますが、私は断然寝技系が好きで、あの緊張感漂うグランドでの攻防は、見ているこちらも思わず息を止めて拳を握りしめてしまうのでした。
特に好きだったのは吉田秀彦で、「ストリートファイトになったら柔道が一番強いシステムかもしれない」と、彼の格闘する姿を見て思ったものでした。

80年代の初頭に、アントニオ猪木が率いる新日本プロレスが牽引する形でプロレスブームがあり、当時大学生だった私は、かなりプロレスにのめり込みました。
力道山が死んだのは私が生まれた頃のことですので、力道山も木村政彦もリアルタイムで見たことはないのですが、当時出版されていた『日本のプロレス30年史』の中で柔道出身の木村政彦と相撲出身の力道山の世紀の対決みたいな記事を読んだことがあり、知識としては断片的に知ってはいました。
しかしそれは、スポーツライターがプロレスの立場から、プロレス的な言説で、プロレス的に書かれた記事であり、これがいかに人々に間違った先入観を植え付けていたかを本書を読んではっきりと知ることになるのでした。

本書は、木村政彦の出生から亡くなるまでを綴った伝記であると同時に、日本における柔道・柔術の歴史書にもなっています。
本書を読むまで柔道についてあまり深く掘り下げたことはないのですが、今私たちが見る柔道、オリンピックで行われている柔道というのは、『講道館柔道』という一つの流派だということが判りました。
木村政彦の学生時代の鍛練方法や、戦前の全日本選手権での輝かしい成績、プロ柔道の立ち上げと失敗、ハワイやブラジルの海外遠征での評価、そして、講道館柔道との関わりや大山倍達との関わり、力道山が立ち上げたプロレスとの関わり。
著者は柔道家ということもあり、不当に木村政彦と柔道の評判を落とすことになった、あの伝説の力道山対木村政彦のプロレス対決については、その間違った評判を覆そうという著者の執念を感じてしまいます。

木村政彦は日本史上最強の柔道家であり、おそらくヒョードルと総合ルールで闘っても秒殺で勝つだろうと思わせるのは、著者の表現力のせいではなく、資料をもとに数値的にはじき出した科学的な結論であるように思えます。
そして、そんな木村政彦が力道山に負けたのは、プロレスは格闘技ではなくエンターテインメントだからであって、木村政彦の評判を汚いやり口で不当に貶めた力道山は、到底許すことができないという論理なのでしょうか。

本書は上下巻合わせて1200ページ近くにもなる超大作で、著者の木村政彦と柔道に対する愛情に満ち溢れていて、不当に貶められていた木村政彦を人々に再評価してもらいたいという思いが十分に伝わる1冊です。
少ななくとも私は、木村政彦の強さと人間性の良さ、そして『柔道は最強の格闘技である』という確信を、本書を読んで持ちました。
そんな感じで、格闘技ファンには是非読んでもらいたい必見の1冊なのです。




  1. 2015/03/23(月) 00:55:21|
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山女ひろし

Author:山女ひろし
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