私がこの作品を読んだのも、30年ほど前の大学生の時です。
その当時、一つ上の先輩が松田聖子の大ファンで、先輩の家に行くと必ず松田聖子の曲がかかっていました。
おかげで私は、ファンでもないのにすっかり松田聖子の曲を覚えてしまったほどです。
そんな先輩が 「この曲好きなんだよね」 と言って何回もリピートしていたのが、 『いちご畑でつかまえて』 でした。
『サリンジャー』 という名まえはおろか、 『全世界で一番読まれている青春小説の金字塔』 などという評判すら全く知らなかった私がこの本を手に取ったのは、書店で 『ライ麦畑でつかまえて』 というタイトルを見た瞬間に、頭の中で松田聖子が 『いちご畑でつかまえて』 を歌いだしたからなのです。
というわけで、この作品も30年ぶりに読み返しました。
成績不良により高校を退学になってしまう主人公のホールデン。
彼が退学になるのはこれで3校目。
ペシシルベニア州の高校で寮生活をしていた彼は、実家のあるニューヨークへと戻ることになるのですが、さすがにバツが悪く、退学になったことを両親に言えないため、学校からの通知が実家に届く2~3日の間ニューヨークの街中を彷徨するのです。
その間、ガールフレンドを呼び出してデートをしながらも悪態をついたり、次々と酒場をはしごしてナンパをしたり、ホテルに娼婦を呼んでトラブルにあったりします。
主人公ホールデンはツッパらかった暴力的な不良少年ではなく、将来の夢や目標を見いだせず、無気力で周囲の全てに批判的で、自分が何をしたらいいのかさえも分からずに常に心に不安を抱いている、少々病的な社会不適合な少年です。
そんな現代にありがちな、一種独特のやるせなさを心に秘めた少年の内面を赤裸々に綴った、まるで誰もが少年の頃の自分を思い出すかのような、そんな作品なのです。
ところで、再読するまで私が持っていたこの作品の記憶は、 『大人への成長過程で芽生える異性への関心と社会に対する不満を描き出した、ライ麦畑があるような田舎町での物語』 というものでした。
まったく、こんなにも内容を忘れてしまうものなのでしょうか。
これでは忘却どころか記憶の捏造です。
田舎町どころか、舞台は殆んど都会であるニューヨーク。
しかも、 『ニューアークからペンシルベニア・ステーションで降りて云々』 といったら、私が去年ニューヨークへ旅行した時のコースと一緒じゃないですか。
セントラルパークやブロードウエイやマジソン街などの地名が出て来ると、具体的な風景が思い出されて旅の記憶が甦ってきます。
そんなことはさておき、様々な出来事があった主人公ホールデンのニューヨークでの彷徨の物語ですが、最終章で、今まで書かれていたこの物語は主人公が病院 (たぶん精神病院) で語っている話しであることが明かされます。
私は、おそらくこの作品は、全てが主人公ホールデンの脳内で作成された妄想であるという設定なのではないかと思っています。
それまで語られてきた話が全て主人公の一人称であり、物事の捉え方がかなり病的に主観的で、全てが大げさに誇張された病的な表現であるということを考えると、まさに精神病患者の妄想にしか見えないのです。
最後の最後に、 『話に出てきた連中がいまここにいないのは寂しい』 ということが語られます。
おそらく快方に向かっているのでしょう。
今まで批判的だった登場人物たちを受け入れるかのような主人公の心の動きが見られるところで、この作品が締めくくられています。
この作品は10代のうちに、遅くても大学生のうちに読んでおいたほうがいいと思います。
若ければ若いほど、主人公の言動に共感できると思うのです。
今回再読してみたのですが、中学・高校の頃の痛い自分を思い出して、この主人公が単なるおバカにしか見えませんでした。
あー、恥ずかしい、恥ずかしい・・・
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- 2011/10/05(水) 15:35:08|
- 書評
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| コメント:9
私も20前後だったろうか、これを読まずして青春を送れるかという思い、さらにこの題名のなんとも宙ぶらりんなところに惹かれて確かに読んだな。(ちなみに松田聖子は無関係でした。)
だから、若いうちに読めというヤマメの考えは非常にわかるけど、いかんせん、私もとことん忘れている。
この題名となる思いを、主人公が吐露するくだりが途中あったけど、自分は時代や人間関係やらの一切のわずらわしさを忘れてライ麦畑で羊だったか犬だったかを追うような生活をしたいって夢想することだったっけ?
これもねつ造か。
私もこれまで2度ほど読み直そうと思ったことはあったんだけどね。最初は、ジョンレノンを撃った犯人がそのまま現場にたたずんで、「ライ麦」を手にして(あるいは読んで)いたってことを後になって知った時、次は村上春樹が新訳を出した時だったのだが、結局そのままになっていた。
まぁヤマメが読んでくれたので、とりあえずこれでよしだな。
- URL |
- 2011/10/05(水) 19:27:57 |
- 藤伸一 #-
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そうか、そうだったんだ。
どうもありがとう。
羊か犬かで迷ったけど、子供だったんだ。(って全然違うじゃん。)
しかしそのくだりを読むだけでも、なんかグっとくるものがあるな。
精神病質者についてのクレッチマーの言葉に、「静かな時代にはわれわれが彼らを鑑定するが、熱い時代には彼らがわれわれを支配する。」ってのがあるけど、さほど熱くもない時代において、そんな鑑定をすり抜けようとするアメリカのパラノイアにとって、この小説はしっくりはまる(ある意味パスポートのような)ところがあるのかね。
少なくとも日本人にとっては、ライ麦が日常的でないのと同じレベルで、この小説の「静かな狂気」の意味合いも切実ではないような気がするが、どうだろう。
- URL |
- 2011/10/06(木) 10:29:22 |
- 藤伸一 #-
- [ 編集 ]
へへへ読んだぜ。感化されて、村上春樹のやつ。
3度目の正直ってところかな。
いやよかった。この年でもやっぱりいいものはいいもんだ。この年だからってのもあるしね。
悪態ついて反抗的で自滅的で象徴的に困ったやつのホールデン。
それは昔読んだ印象と変わりない。
しかし、そんなクサクサした若者の知的でナイーブな愚痴の連綿だったようなという印象は誤りだった。
ホールデンは、この本が発刊された当時はもちろんだろうけど、今でも人間社会のアンチテーゼの象徴だな。
社会を存続維持、繁栄させる側からすれば、彼の言動はどうしようもなくて空虚でしかないけれど、人間一人ひとりという観点から見れば、今の時代でも、それはある意味真っ当で無垢でとても魅力的だ。
彼の罵詈雑言にまみれながらも垣間見られるピュアな言葉(精神性)には、なんとも神託のように響くものがあるし、そのあたりがこの小説の信奉者を生むのだろうな。
これはいずれ酒の肴だな。2人とも内容をすっからかんに忘れないうちにね。
- URL |
- 2011/10/17(月) 17:04:29 |
- 藤伸一 #-
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