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書評 『少女コレクション序説』 澁澤龍彦

3000.jpg私が大学生だった1980年代、世の中は大きなパラダイム変換を迎えていました。
社会の表と裏を明確に分ける境界線が、今後何百年間も変わらずに存在し続けるであると思われていたベルリンの壁が崩壊するかのごとく崩れだし、世の中でひっそりと語られていた非社会的なことや反社会的なことが表の社会で堂々と語られる。
それはまるで、アングラなものやサブカル的なものが市民権を得たかのような状況でありました。
本書は、そんな時代の潮流が渦巻く1985年、中公文庫として発行されました。
そんな時代に溺れて流されて、「アングラ」「サブカル」「マイナー」なものに常にアンテナをはっていた当時の私にとって、美しい四谷シモンの人形の写真と『少女コレクション』という言葉が奏でるこの魅惑的な本に魅了されたのは、ある意味必然だったのかもしれません。
というわけで、そんな時代の懐かしい記憶を思い出しながら28年ぶりに再読しました。

澁澤龍彦は昭和3年生まれで私の父親と同世代であり、世の中が大きく変わる遙か以前から少女性愛や人形愛、近親相姦などの倒錯性愛やエロティシズムについて研究している評論家・文学者で、当時20代の若僧だった私にとって、文章表現の難解さもさることながら、澁澤の人生経験の豊富さからくる考察など、私にはその深さがほとんど理解できず、時代の流行を取り入れる形で、「少女コレクション」だの「人形愛の形而上学」だのという言葉を、記号として表面だけとらえていたように思います。
今回自分が、おそらく澁澤がこの文章を書いたと思われる年齢になって再読してみると、20代の頃はよく理解できなかったことが、実感として非常によくわかり、すごく共感を覚えてしまいました。

本書に「セーラー服と四畳半」という評論が掲載されています。
ワイセツとは何かということを論じた文章なのですが、その中で澁澤は、文学者としての立場からワイセツの必要性を説き、時代や社会の情勢の変化とともにワイセツの基準が曖昧になってしまうことを嘆き、同時に若者が『ワイセツ』というものを理解しているのかということを嘆いています。
澁澤の前の世代でワイセツだった金阜山人の『四畳半襖の下張』は、当時の澁澤にとってはすでにワイセツなものではなくなっていると論じ、当時の澁澤にとってはワイセツ感をそそられる女学生のセーラー服を、当時の若者(私の世代)が中年に達した時に、同様にセーラー服はワイセツなものではなくなっているのではないかと危惧しています。

あれから30年たった今、澁澤が危惧したとおり、ワイセツという言葉は法律用語にしか存在しなくなり、日常の表の社会に水着やヌードや倒錯性があふれ、四畳半も団地妻も既に時代劇となり、セーラー服はコスプレとなるという、何でもありの世の中になってしまいました。
自分の父親と同世代の澁澤が、1960年代から既にこの分野を研究し、評論を書き続けていたことに驚きを感じるとともに、共感と感激と尊敬が入り混じった複雑な思いを、あらためて感じてしまいました。

それにしても、昔の文庫本は字が小さくて、老眼鏡なしには読めません。
既に中年を通り越して老年ですな・・・



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  1. 2013/10/10(木) 16:03:58|
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