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書評 『人間失格』 太宰 治

Scan25258561.jpg先日、当ブログを初回から読み返してみました。
近代文学からマンガに至るまで、その時の気分で気ままに思い付くままに、ジャンルを問わず掲載していましたが、ひとつ書き忘れていたものがありました。
それがこの太宰治の『人間失格』です。

私がこの本を初めて読んだのは、今から30数年前の19歳の頃、その当時一番仲の良かった友人Y氏から薦められ、文庫本を手渡されたからでした。
Y氏と私は大学の同じサークルに所属していましたが、1年の時はほとんど接点がなく、あまり話したことがありませんでした。
Y氏はどちらかというと非社交的で、世の中を斜めに悲観的に見ている根暗な人間だと、私は勝手に思っていましたし、Y氏はY氏で、私のことを、能天気で何も考えていない、いい加減で軽薄な兄ちゃんだと思っていたようでした。
そんな二人が、お互いの存在を認め合う間柄になったのは、大学2年のある日、自主製作アニメ上映会に誘われて一緒に観に行ったのがきっかけでした。
接点がなかったのに、なぜ二人で観に行ったのかが今でも疑問なのですが、おそらく、「こいつなら何も考えていないから、自分の趣味をバカにしないでつきあってくれる」とY氏は思ったのではないでしょうか。

上映会終了後、深夜営業の喫茶店に入り、先程見た自主製作のアニメ作品を、二人で夜中まであーだこーだと批評し合いました。
話しているうちに、Y氏は私のことを「ヤマメって、何も考えていない軽い奴だと思ってたけど、実はおもしろくて変な奴だったんだな」と言い、私は私で、Y氏は暗くて悲観的なのではなく、あの皮肉的な表現は彼なりのジョークだったのだというのが判り、我々はお互いに『こいつだけは自分のことを理解してくれる』と感じ、お互いを信頼する間柄になったのでした。
そんな深夜の喫茶店で「ヤマメならこの本の意味を理解できるはず」と薦められたのが本書でした。

ほとんどの方がこの本を読んでいると思うので、詳しい内容は省略しますが、話はある男の手記を見た男の感想から始まります。
その手記の内容は、地方の国会議員の息子のボンボンが東京に出てきて、酒と煙草と女に溺れ、心中未遂で女性を亡くし、睡眠薬服用、モルヒネ中毒となり、精神病院に入れられた後、故郷に帰り、お世話役の老女中に見守られながら廃人として生活していくというような内容です。

本書のタイトルとなった『人間失格』が語られる部分。
精神病院に連れてこられ、罪人ではなく狂人という扱いを受けた葉蔵。

堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

幸も不幸もなく、ただ一切が過ぎてゆく、生きる屍『廃人』になったと感じる葉蔵。
老女中が、睡眠薬と間違って買ってきた下剤を服用して腹を下し、「これは、カルモチンじゃなくてヘノモチン・・・」と笑ってしまい、『廃人』は悲劇名詞じゃなくて喜劇名詞であることを確信するのでした。

残念ながら、Y氏が期待したのとは違い、この本を最初に読んだ時の限りない未来がある10代の頃は、アル中からヤク中という人生の転落は、暗い悲劇的な話にしか思えず、当時はどういう理由でY氏がこの本を私に薦めたのかわかりませんでした。
しかし、20代、30代、40代、50代と、何回もこの本を読み返してみて、『これは、コントか?』と思うようになり、それと同時に、Y氏が大学生の当時に振舞っていた言動との共通性を感じ、当時Y氏が言った「ヤマメなら理解できる」という意味がおぼろげながらわかったのでした。

以前、当ブログで紹介した、吾妻ひでおの『アル中病棟』や、同じく吾妻ひでおの『失踪日記』は、本書と同じ雰囲気が漂っています。
社会的な全てを捨ててホームレスとなったり、アル中更生施設に入所したりと、自身の社会不適応の人生を描いたギャグマンガ家吾妻ひでお。
自分を俯瞰し、客観的な視点で冷静に人生の不条理を表現し、普通なら悲劇的な話をみごとに喜劇へと昇華させています。

20代の頃はこれを『転落人生』と思っていましたが、転落かどうかということは見方の問題であり、50代となった今では、平穏で安定的な生活よりも、紆余曲折、山あり谷あり宙返りありのジェットコースター人生の方が楽しいのではないかと思っています。
そして、棺桶に入った時こう思うのです。
「いろいろあったけど、楽しい人生だったなあ~」と。

そういえば私は大学時代、精神安定剤を常用し、昼と夜が逆転してほとんど人との交流が無かった時期があって、その時、友人Tが私のことを、からかい半分に『廃人』と呼んでいました。
「ボクが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ボクは廃人であるそうだ」
と、二人で、吉本隆明の『廃人の歌』の一説を引用し、笑い合っていたのは、今では懐かしい、遠い思い出になってしまいました。
そんな感じで、太宰治の『人間失格』は、私の人生の中に、さりげなく自然にある存在なのです。




  1. 2015/03/08(日) 16:02:29|
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書評 加門七海 『平将門魔方陣』 『大江戸魔方陣』 『東京魔方陣』

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私は以前、4年半ほど東京で仕事をしていましたが、その東京の怪しげな雰囲気が非常に好きでした。
サイバーでデジタルな札幌に比べ、東京はとってもアナログで前時代的で、人々の想念が行動原理を支配するかのような雰囲気を持っていて、世界一近代的な都市とは思えない様相を呈していたからです。
そんな東京時代、私は東京の成り立ちや歴史、地下鉄の成立と地下空間に関する都市伝説、神社仏閣など、東京の闇に関する本を読み漁っていました。
その時読んだうちの一つが、この加門七海の魔方陣三部作でした。

加門七海はホラー系の作家で、自らも様々な霊体験を持つ霊感体質の女性です。
そんな彼女の、友人たちをも巻き込んだ霊体験は、面白かったりゾッとしたりと様々で、彼女原作のマンガだったり霊体験のエッセイだったりと、いろいろな形で出版されています。

ちなみに私は、オカルト系の不思議な話は結構好きなのです。
自分自身は霊体験がありませんし、霊や超常現象自体は信じてはいないのですが、そのもの自体を否定しているわけではありません。
ただの紙切れでしかない紙幣が何でも買えるお金として存在しているのと同様に、霊や神様や超常現象も存在しているのだと思っています。
つまり、どう解釈するかの問題ですので、それらをどう表現するかという点で、加門七海のエッセイには実際のその時の対応や彼女の感性、解釈の面白さがにじみ出ているのです。

で、この本書、話は荒俣宏の帝都物語で広く知られるところになった平将門の首塚から始まります。
恐怖を抱き、ずっと避け続けていた将門の遺跡を、とある縁で訪ねざるを得ない状況になった時のある夜、彼女は将門に関する不思議な夢を見てしまいます。
そしてこれが、あくまでビジネスライクに取材を済ませ終わりにしようとしていた彼女の好奇心に火をつけてしまうのです。
将門ゆかりの神社を訪ね歩き、取材を続けて行く中で、これらの場所を地図に落とすと北斗七星をかたどっていることに彼女は気付きます。
そして、その創建年代を調べた彼女は、家康没後、江戸の守護として日光東照宮に家康を神として祀ったのと同時期に一挙に創建されたのを知って、今まで将門に抱いていた恐怖が誤解であることに気づくと同時に、あの夜に自分が見た夢の意味を理解するのでした。
将門は恐怖の大魔王ではなく、家康とともに東京を守る守護神であり、将門ゆかりの神社は天海僧正によって造られた魔方陣であるということに。

その後の江戸時代、歴代の将軍は寛永寺と増上寺に葬られ、江戸の守護として祀られているとか、江戸城を取り巻く風水に関係する神社仏閣の魔方陣を探り出すことで江戸幕府の呪術計画を暴きだそうと取り組んだのが大江戸魔方陣。
そして、将門ゆかりの地を鉄道がとり囲んでいることに気付いた彼女は、江戸幕府の結界を封じ込めるように作られた、明治新政府が計画した天皇家の闇の力による鉄道での魔方陣を暴きだそうとしたのが東京魔方陣です。

江戸幕府も明治以来の新政府も、闇の力の制御と東京の守護の方法を知っていて意図的に都市計画をしていたのですが、昭和の時代の終わりとともに、今の行政の人々が知らず知らずのうちに結界を壊してしまわないかと危惧している半面、新たな平成時代の魔方陣が構築されつつあるのかもしれないと結んでいます。
東京は、平将門と徳川家、さらには天皇家の闇の力による三重の結界に守られていて、それがゆえに世界一の都市として発展しているかもしれないのです。

あとがきでも書いていましたが、加門七海は風水の専門家でもないし、それを専門に研究しているわけでもないので間違った解釈をしている部分もあるとは思いますが、本書はそれを補って余りある面白さ。
やっぱり東京は、私が最初に感じたとおり、闇の面白さで満ち溢れているのです。




  1. 2015/03/01(日) 20:45:07|
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桜庭一樹『私の男』が映画化されが・・・

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昨年は、桜庭一樹の小説がもう1本映画化されています。
小説の方は2007年に直木賞を受賞しており、映画の方は昨年のモスクワ映画祭でグランプリ(最優秀作品賞)を受賞し、主演の浅野忠信は最優秀男優賞を受賞するという、小説も映画も受賞ずくめの作品でした。

内容を掻い摘んで言うと、父と娘の近親相姦の話です。
原作の小説では、養女である娘の結婚を祝うために久しぶりに会う養父との会話から始まり、そこから順々に時代を遡っていきます。
娘の高校時代、東京での生活。
義理の父娘二人きりの生活ですが、この父と娘は肉体関係があり、それと同時に人を殺めたという二重の後ろめたさを二人で抱えて生きています。
娘の中学時代、紋別での生活。
父親の知人のツテで、子供の頃引き取った娘と二人での生活。
実はこの頃から二人は肉体関係にあったのですが、それを父親の知人に知られてしまいます。
その知人は、この義理の父娘が実は血の繋がった父娘であることを知っており、そのことを娘に教えて、すぐに別の親戚に引き取らせようとします。
しかし、実は娘はその事実を知っており、知っていながら父との関係を続けていたのでした。
父と引き離されたくない娘は、その知人を沖へ流れる流氷の上に置き去りにし、見殺しにしてしまうのでした。
娘の子供時代、奥尻島での生活。
北海道南西沖地震の津波により両親と兄弟を全て失い、一人助け出された娘の元に母親の親戚の青年が訪れ、遠い親戚に引き取られようとするこの娘を引き取ります。
実はこの青年、中学時代に親戚である娘の母親の家庭で生活していたときに、その母親と不倫の末できたのがこの娘でした。
娘はその母親と父親の子として出生し育てられていましたが、周りのみんなは不倫の子と知っており、父親もそのことを知っていて自分の子として育てていたのでした。
このように出生時から非業の運命を背負っていた父と娘は、娘の結婚によってやっとその呪縛から解放され、長いトンネルから抜け出たような明るい未来への希望が見えるような感じでエンディングを迎えるのでした。

現在から順々に過去に遡っていき、全て読み終えたときに冒頭のシーンの会話の本当の意味と深みが理解できるという帰納法的な展開は、実は人間の思考の原点であります。
現在の状況から過去の出来事をつなぎあわせて作った物語が歴史であり、自我であり、時間という概念なので、読後の納得感に妙にしっくりくるものがあります。

父と娘の近親相姦というテーマは、私には実感として理解できないテーマではありますが、この小説は、倉橋由美子から繋がる文学作品を継承する作品であり、ライトノベル出身の桜庭一樹がその真骨頂を見せた作品なのです。

さて、映画です。
話の骨子は小説と同じですが、展開は全く逆で、奥尻島の津波のシーンから始まります。
避難所で呆然とする幼女の前に現れた青年(浅野忠信)に引き取られ、紋別で生活する娘(二階堂ふみ)。
近親相姦のシーン、流氷に知人(藤竜也)を置き去りにするシーン、東京での生活と殺人を犯すシーン、そして結婚を祝福するために娘とその婚約者と会食するシーンで幕を閉じます。
この映画、観ましたけど実は苦手というか、不快感しか残りませんでした。
日本映画特有の、暗くて、やるせなくて、閉塞感が漂う映画で、近親相姦のシーンも文章と違って実際に映像で見せられると、ただただ気持ち悪いだけでした。
ここら辺が監督の力量というか、センスというか、送り手の監督と受け手の私の感覚の違いがありますね。
何と言うんでしょうね、ツボとでも言うのでしょうか。

モスクワ映画祭で最優秀作品賞を受賞するくらいですから、芸術的に優れた作品なのは間違いないですし、これがツボにハマる方もいるのでしょう。
でも、私は観ていて正直気持ち悪かったし、観終わったとき『何だこりゃ』と思った映画なのでした。

うーん、惜しい。



  1. 2015/02/15(日) 13:50:44|
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書評 『匂いのエロティシズム』 鈴木 隆

129.jpg今から7~8年前、神保町の三省堂で1冊の新書本が目に留まりました。
丁度その頃、人間の五感ということを考えていて、視覚と聴覚は言語と密接に関連しており論理的思考の元になっていますが、論理的ではない感覚的な判断は嗅覚によるものではないかと密かに思っていました。
初対面の人をなんとなく好きとか嫌いとか判断することや、初めて行った土地がなんか好きとか嫌いとか、論理的に説明できない判断は、自分がその人やその土地の「匂い」を好きか嫌いかと判断しているのではないかと思っていたのです。
そんな時に目にしたのがこの本でした。

現代は、都市の中から徹底的に自然が排除されつつある時代です。
土はアスファルトで固められ、虫はいなくなり、死は日常から遠ざけられ、抗菌・除菌・消臭グッズが大量に売られています。
「匂い」は排除されつつある「自然」に属する部分であり、教育分野であまり論じられたりはしないのですが、本書はそんな匂いの問題を、「性」という分野に限定して学術的に検証した本です。
「匂いの読み取り装置としての脳」といった脳科学分野の話から、下着フェチといった心理学・社会学分野の話まで、匂いと性の関係性を縦横無尽に論じています。
学術的で専門用語が多いので、あまり気軽に読める本ではないのですが、「なぜ人間はパンツをはいたのか」という、80年代のニューアカ的な問いに対し、『性を言語化・物語化するための嗅覚情報の遮断』という仮説を立てています。
どちらかというと『本能が壊れ、自然の生殖が不可能になったために性を物語化する必要があった』という仮説が主流だと思うのですが、『匂いの遮断』ということであれば、本能が壊れたために物語化したのではなく、性を物語化し統制するために本能的なものを壊した、あるいは隠したということになります。
証明できる問題ではありませんが、これはなかなか面白い仮説で、一理あるなと思ってしまいました。

先日テレビで「ニューヨーク一人旅」みたいな番組をやっていて、以前自分がニューヨークへ行った時のことを思い出して懐かしい気持ちで見ていたのですが、「これ、匂いも伝えることができたらすごくリアルだろうな」と思ってしまいました。
港町の映像の時は潮の匂い、山の中の田舎の時は木々の匂い、農場の時は牛の糞尿の匂い、そしてニューヨークの時はごみ箱の残飯の匂い。
将来的に立体映像なんかが出来てそれが匂い付きだったら、現実とバーチャルの区別がつかなくなってしまうのでしょうか。
あ、でも『トータルリコール』とか『マトリックス』みたいに脳に直接電気信号を送れば、現実とかバーチャルとかの問題じゃないのでしょうね。

そういえば、このブログの最初に出てくる田山花袋の『蒲団』って、破門にした弟子の女の子が使っていた蒲団に顔をうずめて彼女の残り香を嗅ぐ中年男の話でした。

そんな感じで、「匂い」の問題をいろいろ考えさせてくれる1冊であります。




  1. 2015/01/26(月) 00:53:13|
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書評 『戻る男』 山本甲士

modoruotoko.jpg『もし、過去に戻ってやり直せるとしたら、いつに戻りたいですか?』ということを、たまに真面目に考えてみたりします。
もう一度同じ経験を繰り返すなら中学2年生でしょうか。
人生で一番楽しかった時期です。
もしかしたら、その時期が私の人生のピークだったのかもしれません。
二股に分かれたもう一方の道を選択し直すことができるなら、高校2年でしょうか。
この時の選択が、直接今の自分に繋がっているように思います。
もし、もう一方の道を選択していたら、今、自分は生きていなかったかもしれません。
でもそれはそれで、波乱万丈で悔いのない充実した人生だったのではないかと想像してしまうのです。
そんな私の空想を実現させたのがこの小説です。

ある日、一発屋の中年作家の元にタイムスリップ体験の案内状が届きます。
たぶん詐欺であろうとは思いつつも、タイムスリップ物を書いている作家としての興味や、詐欺の体験を新たなネタにできるかもと思い、この案内に申し込みをするのです。
実はこの作家、中学時代のイジメ体験や大学時代の失恋体験などの過去があり、それをやり直したいという思いを持っていたのでした。
最初のタイムスリップで中学時代のいじめっ子に逆襲し、みごと過去を変えることに成功した彼は、2回目、3回目と料金が大幅に吊り上っていくにもかかわらずタイムスリップを繰り返していくのです。
この体験を作品として発表するために、同じタイムスリップ体験をした人、中学時代の同級生や担任の先生、別れた彼女や離れ離れで暮らしている父親などに会い、皆の記憶を検証していった彼は、このタイムスリップのカラクリに気付くのです。
それと同時に、今まで自分の中でわだかまりのあった人間関係の新たな面を発見し、スランプで燻っていた自分をリセットすることになったのでした。

読んでいる途中でこのタイムスリップの真相が判ってしまうのですが、奇想天外などんでん返しなど全くなくても、登場人物全てがハッピーエンドを迎えるのでホッとしてしまいました。

この作者は私と同年代なのですが、中学時代や大学時代のその時代の雰囲気がうまく行間から醸し出されていて、同じ時代を同じ年齢で生きている者しか感じられない微妙なニュアンスが溢れています。
そんなわけで、自分の中学・高校時代を振り返り、『あの時、ああしていれば・・・』と思わず想い起こしてしまう、そんな感じのほのぼのした作品なのです。



  1. 2015/01/17(土) 12:47:37|
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